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狂乱の渋谷ハロウィーン

 投稿者:川井 浩  投稿日:2018年11月 3日(土)07時06分20秒
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  といっても、現場にいたわけでもなく、その報道のTVを見たわけでもないですが、とかく人は集まって騒ぐのが好きらしい。 思えば、海外でも、カーニバルがあり、スポーツバーの盛り上がりがあり、お祭りがある。
で、それはそれで気持ちはわかるのですが、住んでいる村の村祭りで、ご近所の方々の集まりや、クラス会などで、ある程度顔見知りの集まりであれば別ですが、知らない人どおしの集まりはどこか違う感じがします。

ある意味で、しがらみから解放され、いつもと異なる自分でいられる、羽目を外しても、悪さをしても、村八分になる恐れはない。 で、それが暴走しても、だれも止めないばかりか、おバカな行動をしても、むしろ、それを見たものがその上をいく悪さをしても、もうだれも止めないばかりか、拍手喝采をするか、まったく無視をする。 で、おばかをやるひとも調子に乗って悪さがとまらない。

ひとが集まれば、懐狙いも横行するし、怪しいビジネスも潜り込むだろう。 お互いに知らない人たちの集団では、ルールや常識が通じなくなる。 人前ではやってはいけないとか、できないことが、なぜか、大勢のひとの前では、堂々とできてしまう危うさがあるように感じます。

仲間内や、気心の知れたひと同士の仮装はまぁコスプレと思えば楽しいけど、知らないひとが仮面をかぶって金をだせといえば立派な完全犯罪になりかねない怖さを感じます。

そもそもハロウィーンというものをどう理解してよいのか、なにが楽しいのか、よくわかっていないのですが、清く貧しく美しく生きてばかりいられない人間の闇の部分を吐き出す、という意味においては、そこで醜い顔になって、醜い行動をして、どんなひどいことがおきても、仕方がない、いわばストレス発散の場所、綺麗な居間の裏手のトイレ、カトリック聖職者の卑猥な行動、などと絡めて考えれば、ひとの弱さ、きれいごとではすまない人間の業のようなものをちょっと感じると、まぁ、このような馬鹿騒ぎはひとという生き物、というか、本能とモラルとの矛盾の調整というか、必要悪なのか、という諦めに似た合意を感じるところでもあります。 などと、きれいごとを書いている自分の中の闇に気づくときでもあるかもしれない。
 
 
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