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中野さんの放送聴きました

 投稿者:布施院  投稿日:2013年 8月16日(金)04時13分51秒
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  よく足を使って情報を掘り起こしましたね。 当時の悲惨な経験をした人自身が記憶が定かでなくなっていたり、忘れられない思い出として記憶していたり、さまざまでしたが、米軍の艦載機による機銃掃射の際に、赤ちゃんをおぶっていた若いママさんがワーッと叫び声を出して走り去った(おそらく背中の赤ちゃんに弾が命中したのだろうと思われます)とか、目を背けたくなるような姿で若い女性が打ち抜かれていたとか、駅に停車していた列車に多量の松根油のドラム缶が積まれていたところを狙って米軍の機銃掃射が行われたのだと思われるが、なぜその情報が敵にわたっていたのか、おそらく、密告者がいたのではないか、などという発言など、生々しい情報がいろいろとありました。 日本の通信網はおそらく傍受され、米軍には筒抜けだったのではないかとお思えるし、当然ながら密告者もいたのかもしれません。 6人の犠牲者、あるいは、実際にはもっといたのかもしれない犠牲者はたまたまそこに居合わせて犠牲になったのでしょう。 米軍が無差別攻撃をしたということではなさそうに思えました。 昭和20年7月24日午前10時ということは、原爆まで秒読み、日本はすでに完全に防衛能力を失っていたときだ。 あと3週間もたてば終戦の日を迎えられた方々が命を落とされた。 もちろん、これは日本のごく一部で起きた事件であり、実際は比較にならないほどの大悲惨事が硫黄島でも、沖縄でも、満州でも起きていたわけだし、その後のシベリア抑留や満州からの命からがらの引き上げ、ないしは、もっと多くの引き揚げきれずに命を落としたり、家族を目の前で死に別れたり、食い物も薬も無いままに妹や弟の餓死や病死を見届けなければならなかった幼い命もあったわけで、そんな悲惨なことはもう聞きたくもないというのが人情ながら、やっぱり忘れたらまずい。
中野さんの今回のレポートはお隣さんの、ご近所さんの肉声として、ついつい政治に利用されがちが戦争報道などではない身近な話としてこの終戦の日にネットラジオで流されたということで大変意味のあることだったと思います。ご苦労さまでした。大変な労力を使われたと思いますし、その戦争体験を後世に伝えようとする姿に感動しました。 えらい!  
 
 
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