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がん性リンパ管症のため2日に亡くなったロックシンガー、忌野清志郎さん(享年58)は常に反骨心と愛をテーマに歌ってきた。東京・日野高在学中にバンド、RCサクセションを結成。1970年にデビュー後は、原発問題を取り扱った楽曲が発売中止になるなど、物議を醸してきた。その一方で近年は自転車に凝り、健康に人一倍気をつける生活を送っていた。
あの“清志郎節”は、もう2度と聴けない。反骨心を持ちながら、人間性に満ちあふれた清志郎さんの楽曲。その礎は高校時代に築かれた。
清志郎さんは中学時代にアマバンド、ザ・クローバーを組んでいたが、日野高進学後に解散。RCサクセションを結成し、同級生で後に俳優デビューする三浦友和(57)も一時期、パーカッションで加わった。
高校時代には絵画に打ち込んでおり、美大を目指していた。が、次第に音楽に没頭していき、3年時にはミュージシャンを志す。メジャーデビュー後、1972年にヒットした「ぼくの好きな先生」は、放任主義を貫いてくれた当時の担任教師を歌っている。
当初フォークグループだったRCは、フォークデュオの古井戸で活躍していたギターの仲井戸麗市(58)が加入してロックバンドに。82年出演のフジテレビ系「夜のヒットスタジオ」で、噛んでいたチューインガムをカメラにつけようとするパフォーマンスに抗議が殺到。この奔放な言動が若者に支持された。
88年には原発問題を歌った作品を含むアルバム「COVERS」について、所属レコード会社の東芝EMI(現EMI)と対立。親会社の東芝が原発の部品を扱っていたことから販売中止となり、インディーズレーベルで発売された。
持論は「ロックには毒がなければいけない」。FM TOKYOが同曲などを放送自粛した際には、反発して深夜の歌番組でFM局を中傷する歌を突然歌った。99年には国歌「君が代」をパンク風にアレンジした楽曲を発表した。
一方、若手時代から一緒のステージに立った井上陽水(60)や坂本龍一(57)とコラボ曲を発表するなど、多くのミュージシャンとユニットを組み、ロック魂を受けつないだ。近年は自転車愛好家として知られ、東京から鹿児島までを走破。また、愛車が盗難に遭う事件も起こった。
常に話題の中心となった58年の人生。清志郎さんは疾風のように駆け抜けた。
ロックは毒がないと」が持
論だった忌野清志郎さん。穏
やかな笑みが、内にある強い
信念を包んでいた=99年9月
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/music/090503/msc0905030720003-n1.htm
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